2023年5月9日 マーク・J.・レイ
私は長い間端末セッションを見つめました―。
ハードウェア更新の一部として、IBM AC922を購入したのです。IBMの技術者がそのマシンをラックに収め、私達はそれをネットワークに繋ぎました。私はそのマシンをLinuxプロジェクトのために使用する計画だったのですが、そのプロジェクトが違う方向に進んでしまったのです。目的のない、極めて強力な処理能力を持つコンピューターだけが残りました。私は端末の前に座り、端末セッションを見つめました。端末のカーソルが瞬いていました。何時間も経ったように思われた後で、私は電話機に手を伸ばし、前の雇用主であるIBMに電話を掛けました―。
偶然のAIシステム
IBM AC922は、Linux専用システムの1つです。データセンターに導入されたこのシステム(Power9テクノロジーに基づいています)には、40個のP9 SMT-4 CPU、256GBのメモリー、テラバイト相当の内部ストレージ、InfiniBandとEthernetアダプターが装備されていました。そして最も重要なことは、NVIDIA Tesla V100 GPU(この装置の1つ1つに640個のテンソルコアが備わっています)が装備されていた事です。私のシステムにはこの装置が4つ搭載され、50Gbpsで動作するNVIDIAのNVLinkで繋がれていました。 このハードウェアの基本についてはそのうち説明するつもりですが、ひとまずは「単純な計算能力に関する限り、ほとんどの普通のPower9を凌ぐ」と言えば十分でしょう。
しかし、スーパーコンピューターは実際に何かをしない限り、何の役にも立ちません。今のところ、私の所有するAC922は素敵なフラワーボックスと同程度の役にしか立ちません。幸運なことに、IBMに勤めているジムが私に折り返し電話をしてきました。私は自分の状況を彼に説明しました。このシステムがここに“ただただ置かれているだけ”の状況がいかに残念なことか、そして、いかにこれら面倒なことすべてがその内部にあるか…という悲しい話をしました。
「―ちょっと、マーク」ジムは溜息をついていたと思います。
「―これは俺達が所有している、人工知能システムの1つだよね?」とジムは続けたのです。
このマシンが人工知能システムの1つだという事は私にとって初耳でしたが、それと同時に詳細をもっと聞きたいと思いました。ジムは数日分に相当する会話を凝縮して、いかにIBMがAIに足を踏み入れたか(それもハードウェアだけでなく、「ワトソン」の傘下にある、大量のソフトウェア群を使って)という事を説明してくれました。最も良かった点は、ワトソンAIソフトウェア群の多くがパブリックドメインに置かれており、無料だということでした。
(余談ですが、IBMはその後ワトソンヘルス部門を売却しています。そこは私が当初、自分のシステムを持ち込みたかった所だったのですが、およそ5年前はヨークタウン(訳注1)の連中の主力製品でした。)
それから私は、ジムをAC922にAIの命を吹き込むプロジェクトに参加させ、私自身は本で満ち溢れる図書館や数えきれないほどのオンラインコース、さらにはマサチューセッツ工科大学の認定資格取得…と何年も要する旅を始めました。私はこの記事を2023年初めに書いていますので、人工知能は今や私の人生です。
人工知能:古代の始まり
人類は常に無生物、特に人間に似たものにAIを吹き込んできました。神話には、自らの心で命を吹き込み、通常人間に大惨事をもたらす彫刻、ゴーレム(訳注2)、ガーゴイル(訳注3)、その他あらゆる石や青銅でできた生き物の話が満ち溢れています。この手の話は、古代の人々が自分たちを取り巻く世界を説明し、我々のような“生身”の人間がなぜそのような行動をとるのかについて、理論を構築するために用いたテクニックの1つだったのです。
何世紀にもわたり、徐々に人類が進化するにつれ、人工の創作物も進化しました。レオナルド・ダ・ヴィンチが「計算機械」とは何かという彼の概念を描いたのは1493年頃のことです。機械式算盤に相当するものが作られることはありませんでしたが、この「計算機械」という概念は、デーモンやドラゴン、悪霊といったような、あらゆるタイプの霊魂が存在する「真に古代の思考」と、レオナルドやガリレオ、そしてアイザック・ニュートンのような実務家を生み出した、急激に発展する「科学領域の思考」の間―いわば「空想思考」と「科学領域」の地盤を繋げるために打たれた“杭”だったのです。何年もの時が過ぎ、計算及び知性の本質に関する考えが徐々に発展しました。
チャールズ・バベッジは、今日私達が博識家と呼ぶ、イギリスの数学者、哲学者、発明家、そして機械エンジニアで、多くの人がコンピューターの父と考えています。バベッジの生涯は1791年~1871年で、多くの注目すべき装置を概念化しました。その内で最も良く知られているのは、おそらく「階差機関」です。これは、パンチカードを使って計算を行う機械装置として使うことを意図したものでしたが、決して作られることはありませんでした。後に、彼は最初の機械式計算機と考えられた「分析エンジン」を提案しました。バベッジの発明のいくつかは、死後、彼の息子によって部分的に組み立てられました。しかし、当時そういった発明品は”単なる珍品”と考えられ、歴史の片隅に追いやられてしまいました。ただ、彼の提唱した概念は多くの人の心に留まり、それらについて考えられ始めました。
コンピューティングの概念がまた進化しました。
アラン・チューリングのテストとダートマス会議
アラン・チューリングについて語ることなくしてAIの進展について語ることはできません。
チューリングは1912年にロンドンで生まれ、コンピュータ科学に対する彼の貢献によって、第二次世界大戦中に何百万人もの命が救われた可能性がある…だけでなく、連合国が戦いに勝利できた可能性が高いのです。チューリングがナチのエニグマ暗号を破り、連合国がドイツの軍事機密通信を傍受して解読できるようにしたのは、戦時下の英国のブレッチェリーパークという場所でした。枢軸国の努力に対して反撃の計画ができ、最終的に連合国が勝利しました。チューリングはコンピューター科学の根本原理の多くを定式化し続けましたが、少なくとも公に最も良く知られている彼の貢献は「チューリングテスト」でした。
チューリングテストは、まず人間の評価者がどちらが機械でどちらが人間であるかを知らずに、機械および人間と会話します。評価者が機械と人間を確実に識別できない場合、機械はチューリングテストに合格したと言われます。チューリングは、このテストの提案を主に思考実験として1950年に彼の「計算機械と知性」という論文で提案しました。チューリングテストは知性の哲学的または理論的定義の正当性を立証するためではなく、コンピュータに適用可能な運用上のそして実際的な価値を提供するために設計されています。このチューリングテストを使うことで、もう1つの杭が地面に打ち込まれ、AI研究はこのテストに合格できるシステムを作ろうと試みる多くの科学者と共に進展しました。
1956年の夏、ダートマス大学のキャンパスで会議が開催されました。現在「ダートマスワークショップ」として知られるこの会議は、真正な研究および開発領域としてAIが基礎を築いた場所と見做されています。ジョン・マッカーシーはコンピューター科学者であり認知科学者です。「人工知能」という言葉を発明し、思考機械についての考えを明確にするために、当時の最善の良心とされる人々を呼び集めダートマスワークショップを組織したのは彼でした。また、マッカーシーはプログラミング言語のLispを開発し、興味深いことに、コンピューター処理における「ガベージコレクション」という概念を発明しました。マッカーシーは、科学者のマービン・ミンスキー、クロード・シャノン、ナタリー・ロチェスターと共同でワークショップの提案を作成しました。その一部には次のように述べられています:
「この研究は、学習のあらゆる側面または知性のあらゆる他の特徴が、原理的に機械にそれを模倣させられるほど精密に記述できるという推測に基づいて進められる予定です。」
この提案の全文はスタンフォード大学のホームページからダウンロードでき、AIの起源に興味のある人であれば誰でも一読の価値があります。
ダートマスワークショップは、沢山の科学者、数学者、エンジニアにAIについて考えさせたと言うだけでは足りないでしょう。そのワークショップの参加者達は、彼らの生徒達や同僚にAI概念を教え続けました。そしてその教えを受けた人達がまた他の人達に教え続けたのです。ですから、AIの思索は再び更に進展しました。
AIの始まり:パーセプトロン
私の会社のe-メールの署名欄には次の数式が書かれています:
y = sign(Xw + b)
これは、「パーセプトロンの式」の単純な形式です。パーセプトロンは、多くのタイプの人工ニューラルネットワークの基本的構成要素であり、パターン認識、音声認識、コンピュータービジョン、その他のアプリケーションで広く使われてきています。1958年、フランク・ローゼンブラットがパーセプトロンを開発しました。パーセプトロンは、AIの多くの実装で使われているニューラルネットワークに力を供給する現代の人工「ニューロン」の先駆けです。ローゼンブラットは、彼の最初のパーセプトロンをIBM704上に実装し、次いで「マーク1 パーセプトロン」と呼ばれるカスタムハードウェアの一部に実装しました。 その着想は、パーセプトロンを写真解釈用の有用なツールとして開発するための4年に渡る秘密の取り組みの一部として、米国海軍用にそのシステムを潜水艦のイメージ解析に使用するというものでした。記者会見でローゼンブラットはパーセプトロンについて誇張した声明を出しまし、これをニューヨークタイムズ紙が次の様に要約しました。
パーセプトロンは、「(海軍が)歩き、話し、見て、書き、自身を複製し、自身の存在を意識出来るようになると期待している“電子コンピュータの胎児”」です。
結局、パーセプトロンはそのような物でないことが判明しました。それはハードウェア及びソフトウェアの両方の実装があまりにも単純で、機械に歩いたり、話したり、記事で言及された他のすべての事が行える力を供給することはおろか、ほとんど何もできませんでした。実際、パーセプトロンはその誇大宣伝に応えることに大失敗し、そのためにAI研究は事実上停止し、AIプロジェクトへの資金供給が断たれるという長期に渡る停滞が始まりました。これが現在最初の「AIの冬」と呼ばれるものの始まりでした。
しかし、時として失敗から最大の成功が生まれると言われています。私達の脳には、思考に必要なあらゆる要求を実行しているたった1つのニューロンがあるわけではありません。正確な数を突き止めるのは困難ですが、人間の脳内には大雑把に見積もって平均約860億(桁数の間違いではありません)のニューロンがあります。各ニューロンは独自の構造をもっており、電気的ならびに化学的信号を他のニューロンや非ニューロン細胞と送受信できます。要点は、単一のニューロンはほとんど役に立たないという事です。しかし、それら全部を一団として活動させれば、結果的にプラトーやニュートンあるいはアインシュタインが得られます。それはパーセプトロンまたはその子孫である人工ニューロンにも当てはまります。他のあらゆるAI技術の中で、人工ニューラルネットワークが生まれたのはこの概念からです。
エキスパートシステムと最初のAIの冬
私は1980年代にコンピューターの店を経営していました。あの頃は楽しかったです。経営していたその店の主力商品はAppleマッキントッシュで、PCクローンも扱っていました。私はずっと映画「2001年宇宙の旅」のファンでした(これを読んでいるあなたも多分そうだと思います)。そして、コンピューターはいつHAL9000のAI機能に近付くのだろうと考えていました。毎日違うソフトウェアベンダーが、私に店の棚に並べてほしい最新製品のパッケージを送って来たものです。ある日、私は重たい箱の入った宅配便を受け取りました。箱にはただ「LISP 2.0」とだけ書かれていたと記憶しています。メモ書きには、「同封のディスクは考えるマシンへの第一歩です」と書かれていました。私は興味をもちました。そのディスクをPCのハードディスクにロードし(ちなみに、当時20MBのハードドライブは3,000ドル以上の値段でした!)、マニュアルを苦労しながらなんとか読み進め始めました。私は、自分にとって最初の「エキスパートシステム」をいじり回しました。
第2部では、エキスパートシステムがどのように最初のAIの冬を終わらせ、今日私達が使っている多くのAIアルゴリズムやフレームワークを生み出すのに役立ったかについてお話する予定です。
(訳注1) ヨークタウンはIBMのトーマス・J・ワトソン研究所の置かれている場所の名前(正確にはヨークタウンハイツ)ですが、転じて同研究所を指しています。
(訳注2) ユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形。
(訳注3) 怪物を象った彫刻(建物の雨樋の役割を果たす)。
近年の人工知能(AI)の進歩には目を見張るものがありますが、ややもするとAIの能力に対する期待や恐怖に目が行きがちです。しかし、技術史的な観点から見ると、AIは失望を伴う何度かの停滞とパラダイムの変化の末にようやく現在のレベルに達した、まだまだ伸び代の大きな技術であることが分かります。こうした視点は、AIを理解しその将来を予測する上でも重要だと思われます。そこで、今回はAIの進化の歴史を紐解いた上で、その未来を占う連載記事を3回に渡ってお届けします。
本シリーズの第1部では、AIになったであろう物の基礎を築いたテクノロジーと概念のいくつかについてマーク・レイ氏が論じます。なお、本シリーズの記事で述べられる見解や情報は著者の個人的なものです。(編集部)