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IBM i の誕生を探る IBMのオフコンはいかにして生き残ったのか? IBM i の誕生を探る IBMのオフコンはいかにして生き残ったのか?
2016.08.23

【オフコン】第1回「戦時中に産声をあげたコンピュータの原風景」

【オフコン】第1回「戦時中に産声をあげたコンピュータの原風景」
【オフコン】第1回「戦時中に産声をあげたコンピュータの原風景」

他社メーカーのオフコン(オフィスコンピュータ)が市場から次々と姿を消すなか、同じオフコンのカテゴリーにありながらIBM i という製品はなぜ生き残り、そしてなぜ、今なお発展し続けているのでしょうか?

その答えの前にまず、そもそもコンピュータに対してお客さまは、どのようなところに価値を見出していただき、購入していただいているのか、ということを考えてみたいと思います。

一般ユーザーにとってコンピュータは、「システム構築が楽しい」「勉強になる」「周囲で使っている人が多い」などという、趣味的要素が価値となっているはずです。

しかし、ビジネスとして企業に向けてコンピュータを購入していただくには、コンピュータに求める価値は「ビジネスへの貢献」でなければなりません。
ビジネスに貢献するコンピュータが価値あるコンピュータだといえます。

ビジネスにおける価値とは、乱暴にいうと「コスト削減」や、「新規ビジネス開拓の武器」だといえるのではないでしょうか。

『日経コンピュータ』では、年に1度、顧客満足度調査のアンケートを行っているわけですが、それを参照すれば何を企業におけるコンピュータの価値基準と見なしているのかを知る事ができます。
顧客満足度調査『日経コンピュータ』

総合満足度というのは、現在、使用している製品そのものの満足度です。
そして、継続意向度というのは、たとえば、もしサーバーを買い換えるとすれば、同じメーカーの同じシリーズのサーバーにするのか? それとも他のタイプのサーバーに乗り換えるのか?
といったような問いに対する、前者回答の割合を数値に表したものだと考えられます。

総合満足度は8つの項目の評価点を総合したものであり、2つのカテゴリーに分かれています。
ひとつが「製品について」。そして「サポートについて」です。

製品については、「ハードの性能・機能」「ハードの信頼性」「ハードの価格」「運用管理の容易さ」。サポートについては、「導入時の支援」「問い合わせ対応」「トラブル対応」「サービスの料金」という項目を設けています。
企業においてコンピュータは業務に必要不可欠なため、製品そのものも大事だけれど、メーカーがどのようにサポートしてくれるかも大事だという観点から、こういった基準を設定しているようです。

これは、コンピュータに対する満足度はこのような尺度で測られることもある、という一例に過ぎません。
もちろんIBM i にとっても重要な評価基準であることは間違いないのですが、ビジネスの継続性という長期的視点に立てば、実はもっと重要なポイントに気付かされると考えています。

そこでまず、コンピュータの歴史を紐解きたいと思います。
なぜ、コンピュータの歴史を振り返るのか、というと、IBM i の設計者たちの開発の経緯や、どのような価値を追求すべきだと考えていたかを知るには、コンピュータの歴史を見ることで、理解を得ることができるからです。

世界初のコンピュータが生まれた背景

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私が学校で習ったときは、1946年に誕生した、ENIAC (Electronic Numerical Integrator and Computer)が世界で最初のコンピュータだと教えられました。
その後、実はABC(Atanasoff-Berry Computer)があったとか、 Colossusだったなど、いろいろといわれていました。
しかし1975年、アメリカのミネアポリス連邦地方裁判所は、世界最初のコンピュータはABCであるとの裁定を下しています。

ABCは1942年にアメリカで開発されました。
この、1942年という年にあった出来事を見てみると、1月にベルリンで日独伊軍事協定が調印され、6月にミッドウェー海戦がありました。つまり、第二次世界大戦のさなかです。
コンピュータは最初、第二次世界大戦にあって、軍事用途として開発されたものでした。

Colossusは1943年にイギリスで開発されました。
ドイツの暗号通信の暗号解読器として開発された専用計算機です。
なぜ、1946年に誕生した、ENIACが世界初のコンピュータといわれていたかというと、当時のコンピュータはすべて軍事機密扱いのためその存在が長く世間に知られることがなく、たまたま戦後すぐに公表されたから、というのが理由だったようです。

ENIACが完成した1946年には、すでに第二次世界大戦は終わっていましたが、ENIACは大砲の弾道計算用という、やはり軍事目的として開発されたコンピュータでした。
大砲を撃つさい、初速や大砲の角度、それに加えて温度、湿度、風速などの気象的な条件も合わせて射程が決まっていました。
そのため、大砲を実戦配備するには条件を一覧にした数表もあらかじめ用意する必要がありました。

気象条件のデータと突き合わせ、どの角度でどの初速で発射すれば的中するというのを数表としてまとめ、それを見ながら大砲を発射していたのです。ただ闇雲に撃っていたわけではないのです。

しかし、数表をつくるのに人間が一生懸命に計算をする、というのではあまり効率がよくありません。
そこで、数表をつくることを目的として開発されたのが、ENIACというコンピュータでした。
ENIACは十進法で動き、10桁の計算を3秒で処理しました。
今では考えられないほどの遅さですが、人間が計算するよりもはるかに高速でした。

ちなみに英語のコンピュータという単語は、コンピュートすなわち「計算する」という意味を持つ動詞から派生したものです。
今では死語かも知れませんが、当初日本語では「電子計算機」という訳語を当てていました。
このことからわかるように、コンピュータは超大型の電卓のようなイメージで世間に捉えられていたようです。

ワイヤーを利用したプログラミング設定

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黎明期のコンピュータは真空管を使用していました。
真空管と言っても今やほぼ絶滅したテクノロジーで、どのようなものなのか見たことがない方もいるものと思います。
親指程度の大きさのガラスの風船のような形状をしていて、電気的なスイッチのような役割をするデバイスです。
どこかをオンにするとオフになる、二つのスイッチをオンにすると結果がオンになる、などといった具合に極めてシンプルな動作をしました。

そして、ENIACはパッチパネルでスイッチ群やケーブルの配線を変える、ワイヤリングすることによってプログラムを設定していました。
その設定だけでも数日を要していました。

プログラムをワイヤリングで行うのは手間がかかるため、その後、ストレージ下に置かれたメモリーでプログラムを動かすタイプがいいのではないか? という発想から開発されたのが、1949年に登場した、EDSAC(Electronic Delay Storage Autonomic Calculator)です。
これは、コンピュータの父とも呼ばれるアメリカの数学者、ジョン・フォン・ノイマンによって1946年に提案された構造を持っていたので、ノイマン型と言われています。

ノイマン型は、メモリー、制御装置、演算装置、入力装置、出力装置といった各要素を備えており、内蔵されたプログラムが、内蔵されたデータ、もしくは外から取り込んだデータを加工しながら動くという、現代のコンピュータの原型となったものでした。

すなわち現代のコンピュータもあまねくノイマン型であると言う事ができます。

戦争向けの技術がビジネス分野で花開く

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大砲の弾道計算など、軍事用途・計算用途からスタートした最先端のテクノロジーは、第二次世界大戦終了後、ビジネス分野での利用が模索され、急激に進歩していきます。
1949年に開発されたEDSACからわずか3年後の1952年。IBMにとっての最初のメインフレームと言われるコンピュータIBM701を発表しました。
その後1964年発表のSystem/360の大成功を経て、IBMはコンピュータ・ベンダーとしての地位を磐石のものとし、さまざまなコンピュータを開発していくようになります。

コンピュータはその誕生時点において非常に高価なものでしたので、複数台を導入するといったような分散型の発想はありませんでした。
IBM701やSystem/360も基本的には集中型のコンピュータとして使用されていました。
しかし、技術革新と量産化に伴い、コンピュータの価格は時代を追うごとに下落していくことになります。

コンピュータ1969年のUnix、90年代のPCサーバーといったように、従来のメインフレームに比べてはるかに安価なコンピュータが登場すると、何億円もする高価なコンピュータを1台導入するよりも、1台あたり何千万円、何百万円という安価なコンピュータを複数台導入した方がトータルでは得だという、初期コスト重視の考えが生まれます。
この考え方を後押ししたのが、EthernetやTCP/IPといったネットワーク技術やODBCといった、複数のコンピュータが互いに情報をやり取りするための標準的な仕様(プロトコル)の普及です。
集中型から分散型へとトレンドは変わっていくと共に、標準的な仕様を満たすことを「オープンである」と表現し、そのようなコンピュータを「オープンなシステム」、さらにこれを短縮して「オープンシステム」と呼ぶようになりました。

ちなみに「オープンなシステム」という意味での「Open System」は世界的にも通用する言葉ですが、「オープンシステム」になると日本特有の意味を持つようになります。
例えばIBM i を「オープンシステム」と表現することはなくても、各種のオープンなテクノロジーを備えているので「オープンなシステム」と言うことはできます。
すなわち「オープンなシステム」であることと、「オープンシステム」とは必ずしもイコールではない、という事です。このあたりはよく見られる誤解です。
また今日市場にあるコンピュータで、「オープンではない」システムはまず存在しないか、淘汰されつつあるのが実情です。

さて、少々時間軸を過去に戻しましょう。
まだSystem/360やその後継機が市場を賑わせていた1969年に、IBMロチェスター研究所はそれとは全く異なるタイプのコンピュータであるSystem/3を発表しました。
このシステムは次第に発展し、その後に画期的とも言われるアーキテクチャーを備えたシステムの原型を産み出すことになります。

次回の本連載では、このロチェスター研究所について取り上げる予定です。どうぞ、ご期待ください。

次回の連載はこちら

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著者プロフィール
安井 賢克(やすい まさかつ)
日本アイ・ビー・エム株式会社にて、パワーシステムの製品企画を担当。
エバンジェリストとして、IBM i ないしパワーシステムの優位性や特徴を、お客様やビジネス・パートナー様に理解いただく活動を日々続けています。
また、大学非常勤講師として、100人近い学生に向けてITとビジネスの関わり合いについて述べる講座も担当しています。

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